経済・政治・国際

2011年2月15日 (火)

メディアの見方(1):私は屈しない~特捜検察と戦った女性官僚

田中美佐子・主演『私は屈しない~特捜検察と戦った女性官僚と家族の465日』131()よるTBS9時放送!!を録画して見た。厚生労働省局長の冤罪事件の当事者に長時間にわたる インタビューをしたジャーナリスト江川紹子氏の取材構成記事を原案にドラマ化したものである。

私の興味は、検察の取調シーンがどのように描かれているかであった。結果は、予想どおり、おそろしくソフトに描かれていた。もちろんこれは、私の印象に過ぎない。私が知りえる範囲は、何人かの検事と被疑者から、取調べについて聞き取ったことからの判断にすぎない。

しかし、このブログにあえて書く理由は、案外、一般視聴者は、検察が悪役に描かれた番組と受け取って、あの映像が、特に酷い事例と受け止めているのではないかと危惧するからである。メディアリテラシーの観点から、このドラマを見てみよう。

誰がみても検察に批判的だが、やりすぎてはいけない。反撃されたときに、再反撃できる材料を残さないと生き残れない。拳銃に入っている弾を全て撃ってしまっては、自分があぶないわけである。そのことを考慮すれば、番組製作者は、実際よりもかなりソフトに表現して、あんなことはしていないと言われないレベルにとどめているであろうことが想像できる。だから実際がどうかの証拠にはならないが、番組制作者が理解している取調べの厳しさより、かなり緩やかに描かれているとして番組を見て欲しい。

また、番組前に念入りに、この物語は、フクションであると断っている。これは、言論弾圧があった時代、フィクションの名を借りて、実は事実を描いて政治的批判をしてきた伝統にのっとったものである。フィクションに対して表現規制をしないことこそ表現の自由の核心なのは、この歴史にもとづいているのだ。

2011年1月15日 (土)

報道と真実の大きな差を考える━裁判員制度初の死刑事件

 マスコミ報道と真実とがどれほど大きく違うことか、多くの人にわかっていただくため、そして、多くのより正しい情報を広めるために発言したいと思います。素材は、昨年末にあった、裁判員制度初の死刑判決についてです。

報道によれば、犯人は、2人を殺害、そのうち一人は生きたまま電動ノコギリで首を切られるという、残酷極まりない殺され方をした。犯人は、麻薬シンジゲートにも加担していたという。この文章からは、複数を殺しているうえに、残酷な殺し方ができる非人間的な人物像が浮かび、犯罪組織に入っていたということで更生もむずかしいのではなどと想像するのが普通であろう。

報道の部分を細かくとって検討すれば、殺した人数、ノコギリの使用、首を生きたま切ったこと、いずれも、ウソではない。しかし、犯人に有利な事柄をひとつも載せないということを全く平気でやっている。その結果、全体として実際とは、かけはなれた犯人像を伝えてしまっている。ある部分だけを編集して示して、偏った印象を残すこと、これこそがメディアが反省すべき問題点である。

以下、私が入手した情報から犯人像に迫って見よう。なお、私自身は横浜地裁の公判を直接傍聴できなかったので、複数の傍聴者の記録とお話、判決文などから、私なりに事件を再構成した。

まず、気になったのは、主犯とされた池田が、犯罪組織の首領ではないことである。首領は、海外逃亡中である。この首領を取り調べて公判に引っ張り出さずに死刑が決められるのかというのが、素朴な疑問のはじまりであった。池田は、自分の手下がいたが、そいつらに殺させずに自分がやっている。これも不思議である。犯罪組織に入っていたというが、その前はどういう生活かも気になった。実は、その前はまともな生活をやっており、人生が途中で狂ったタイプである。麻薬に手を染めたのも、妹の医療費を稼ぐ目的があったなどが浮かんできた。ここまでくれば、ありえるかもしれない犯人像は、かつて石井隆が描いたマンガ『天使のはらわた』で描いた殺人者である。自分自身の人生に対して自暴自棄となり、俺が全部ひっかぶってやるよという態度である。実は案外イイヤツとまで言っては言いすぎであろうが、人間性のカケラもないというタイプではない。法廷でも、当初ツッパリまくり、全部が俺のせいですと言い、母や妹が自分に有利な証言を述べたことも証拠採用しないように求めて、実際に証拠採用されなかった。判決文で裁判員が認めているように、被害者の遺族との対面などを通して、人間性を取り戻す兆しをみせはじめた。詳しく新聞報道を読めば、証拠採用取り消しと人間性を取り戻し始めた部分については報道されている。

以上が消された、あるいは読み飛ばされたと想像される背景である。圧巻はここから、実際に殺したシーンである。眼をそむけたくなるが、勇気を出して知ってほしい。まず要約してから詳細に入る。

一人目を殺そうとして、風呂場に連れ込んだが、用意していたのは果物ナイフの類ひとつであり、思い切って急所を突けず、なかなか殺せなかった、その間抜けぶりというか滑稽さは後で再現するとおりである。やっとのことで一人かたずけたので、二人目は、もう一回それを繰り返す精神力が失せて、手っ取り早くいくために、後で遺体をバラスために持ち込んだ電動ノコギリでやってしまった。詳しい経過を辛抱して観察すればそういう理解になるであろう。「生きたまま人の首を切った殺人鬼」とはかなり違う。

以下、公判を再現する。ショッキングな内容を避けたい人は、ここでやめてください。

被害者AとBを何人かで拉致しホテルの部屋に監禁していた。

電動ノコギリは、チェーンソみたいなものではなく、台座に丸い歯が付いていて、テーブルの上をパイプや材木を押して切るタイプである。

一人目Aの殺しについて検察官は以下のように述べた。

「Aはゴロゴロ動いたり、手が痛いとぼやいたり、言うことを聞かないし、バラバラにするには、チェックアウトの10時までに時間がないので、まずはAを殺すことにした。7時ごろ、南部(手下)に「もうやっちゃいますわ」と言った。室内には南部とAとBだけで、南部は黙っていた。手袋を両手にはめ、ナイフを持った。Aに「お前はもういいから、死んでもらうから風呂場へいけ」と言って、両脇をもって立ち上がらせた。浴室へ行き、浴槽に入れようと右腕の肘上を切りつけた。Aはがっかりした様子で「ああ、ダメなんだ」とつぶやいた。「いいから中入れ」。浴槽に入ると、座るよう言って、ナイフでAの太ももを切りつけた。Aは浴槽に座り、「殺さないで、勘弁して」と命乞いをしていた。「それはできない、あきらめて往生してくれ」と言って、手首を2回切った。ナイフが骨に当たる感触があった。自分は手首を切れば血が出て死ぬだろうと思った。今思えば、首や腕を刺すことに躊躇があったのかもしれない、殺すのは初めてですから。血は勢いよくは出ず、じわじわ血があふれ出す感じ。心臓が破裂するくらいバクバクし、できるなら逃げ出してしまいたい、というのが正直な気持ちだった。

「でも、ここまできてもう後戻りはできない、と気持ちを奮い立たせ、手首を切った。待てば死ぬと思って、洗面所でたばこを吸い、「おーい、A、死んだか」と聞いたら「まだです」と答え、左から右に揺れながら移動し、浴槽内で向きを変えた。なかなか死なないので首を切ろうと思い、右からのど仏に向かい切りつけたが、血は出なかった。刺すしかないと思い、後頭部をつかんで、首を2回突き刺した。ナイフの半分くらい刺さった。血が吹き出るかと思ったが、ダラーっと出るだけ。Aはすうっと血の気が引くように白くなっていった。「あー、ふー」と弱々しい声を出していた。浴槽の底が血で真っ赤になり、血が固まって浴槽が詰まるのでは、とお湯を流した。そしてAの顔にシャワーをかけたがぴくりともしなかった。湯をためると、浴槽は血で真っ赤に染まっていた」

二人目Bの殺しについて検察官は次のように述べた。

「Aを殺し、南部に今何時ですかと聞くと7時半くらいだった。南部はソファに座り、黙っていた。Bに「もう金集められねえのか、お前も死ぬぞ」と言ったら、「もう集められない」「じゃあ死ぬしかないな、来い」と浴室へ。A殺害に時間がかかったので、バラバラにする時間がないと思い、首を切って殺そうと思った。ナイフで切ったり刺したりした感覚が手に残っていて、精神的にもきつかった。切断機の方が楽だと思った。「横になった首を乗せろ」と指示したら「助けて、殺さないで」と命乞いをした。「だめだ、あきらめろ」と言うと「ナイフで刺すか首を絞めて、先に殺してから切って下さい。これは怖すぎる」と言っていた。もう助からないと悟ったのかもしれない。「いいから早く乗せろ」というと、自分で仰向けになり、頭を乗せた。「じゃあな、いくぞ」とハンドルを握り、スイッチを押して回転させると大きな音が響いた。ハンドルを下げると、Bはすぐ首をすくめ、左肩を上げたので刃が当たり、血が出た。「動いちゃダメだろ、それじゃあ切れねえじゃねえか」「怖すぎます、やめてください」「だめだ、ここまできてやめられねえよ、心の準備しとけ」。一度、浴室から出てタバコを吸った。

「Bに「準備できたか」と聞くと「刃の方を向いた方がいいですか、後ろを向いた方がいいですか」と言われた。前からの方が楽に死ねると思い、「そりゃ前の方だろ。後ろからだと痛いぞ」と言うと、刃の方を向いて寝ころんだ。右膝で脇腹を押さえ、右手でハンドルを握り、スイッチを押して「おとなしく往生してくれよ」と言いながら刃を首に当てて切っていった。刃が食い込むと、勢いであごがガタガタと震えだし、刃に当たりそうになったので、額を押さえてあごを上げさせた。ずらしながら右から左まで前半分を切ったが、骨には届かなかった。Bは暴れず、おとなしくしていた。叫び声を聞いた記憶もない。自分は切っている部分を見ていた。血も見えていたが、とにかく切るのに一生懸命で、気持ち悪いという感じはなかった。

「そして体がごろっと転がり、あおむけになった。首の前半分がぱっくり割れ、頭部と胴体に気管が切断されているのが見え、胴体の方から「ぜーはー、ぜーはー」と呼吸音が聞こえ、ぴくぴく動いていた。その様子を見て、「気管が切れても呼吸するのか。それなら後ろから切った方が楽だったかな、悪いことしたな」と思った。30秒から1分待つと、Bの呼吸が止まった。近藤には「2人ともきっちりやりました。バラバラになって後ろに乗っています。今から引き渡しますんで」と報告した。近藤は「お疲れ様でした」と言っていた。」

以上

実に強烈、どう考えていいのやらショック状態になるかと思います。ゆっくり心に納めるには、あれこれ考える時間が必要でしょう。人間の怖ろしさにたじろぎますが、報道の問題に戻りましょう。

さすがにこのまま新聞には掲載できない。単なるマスコミ批判ではなく、報道のむずかしさ、真実に迫るむずかしさを肝に銘じてほしいと願います。この検察の事実認定も、弁護側が認めているとはいえ、真実とは言えないことに注意してください。さらに、多くのことが隠されていることでしょう。

最後に、一言付け足し。既にこのブルグでも述べているが、私の新聞でのコメントは、裁判官がこれまでの判例の基準を変えないように強く誘導したことがうかがえるというものと、控訴を望むという一言に対して、第一審で死刑と宣告して被告の変化を待って無期にする方向が望ましいのだが、ということでした。その根拠は、上記のような情報から、人間性が全くない被告人ではなく、悔いあためる可能性が残されていると判断したからです。

一般人が死刑に逡巡する感覚こそ大切にしてほしい。これまでの刑罰と差が出てはいけないといった理由で、裁判官が永山基準を守らせるのは本末転倒である。裁判員制度の真髄は、一般人の参加である。

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