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2011年4月

2011年4月 3日 (日)

怒って投票を 特に都青少年条例反対の若者へ

  都青少年条例反対の若者へ、特にメッセージしたいと思います。

 何でも「そうなんだ」て受け入れすぎはダメです。世の中おかしいことだらけ。原発の暴走を想定外の津波だからと、許していいのか考えてください。都青少年条例は成立したからおわりですか。怒っていいどころか怒るべきです。

 若い人にいつも言うのですが、人間世界は、わずか66年前2千万人殺しあった。今ある社会が正しい基準できっちりできているなど、とんでもない。人類はまだまだバカをやめない。そういう時代認識が必要です。

 今の政治家は、投票行動の分析で発言を決めている部分があります。若者は人口少ない上に投票しないから、都青少年条例は、ネットでは反対強かったけど投票しない連中だから無視されたと考えてよいでしょう。

 石原慎太郎以外の誰でもいいから投票所に行って名前書くことが本当に大切です。原発を重視するなら小池でさえもいい、対抗馬として、かすかに民主と連携していることを買えば渡辺でいい。戦略的、現実的投票としては渡辺でしょう。

 都条例の反対のために動いた人たちは、政治活動家ではありません。選挙運動はできませんし、候補者も出せません。動くのは皆さんです。自分だけでなく、友人に投票行こうぜ、ネットないだけでなくリアルワールドで呼びかけてください。

都知事選 東国原、渡辺美樹、小池あきら

  都知事選の他の候補者についても、いくつかの論点を整理したい。

 東国原氏は、宮崎知事として人気を博した実績で立候補。かつがれている(官僚の言うとおりにする)だけでパフォーマンスすればいいのなら自分で十分と自信を深めたと感じる。ウケ狙いなら石原以上はいけるというわけだ。

 宮崎に注目を集めることに、確かに実利効果があったが、東京にはその必要がない。官僚の言うとおりにすることではダメな時代を迎えて、東国原は、良い選択とは思えない。

 渡辺美樹氏は、ワタミの創業者、みんなの党の推薦が特徴。みんなの党は、官僚たたきが売りという、それだけでは政策的に無意味なことを中心に据えていることになり、評価できない。  

みんなの党は、人材難。後藤啓二のような者(ウソの犯罪増加を主張する本を執筆、児童ポルノ反対を売りにした)を参議院の候補に公認し、たった一万票しか集められないで落選した。

みんなの党には、今後、具体的な政策を磨いて欲しい。民主と自民の間隙を縫うのは、戦略とは呼べても政策ではない。渡辺美樹も、人物の存在感を認めるが、具体的な社会の将来像を提示してほしい。

小池あきら氏の特徴は、共産党推薦、反原発、反都青少年条例である。私は、共産党アレルギーである。共産党は部分的な主張は正しいが、党機関が独裁的で党員が組織命令に無反省に従うところが支持できない理由である。しかし、今回に限って支持する価値がある。

原発は、推進、反対どちらの立場をとっても、当面やるべきことは同じである。新規工事を止め、今ある原発の丁寧な安全点検である。いきなり全部運転中止は、電気が足りなくなって無理だし、このまま推進もありえない。

今ある原発の丁寧な安全点検は、推進派ではなく、反対派にやらせたほうが良い。別の言い方すれば、それぐらいしないと、東電や原子力関係者は反省しない。共産党は、政権を取らせるのは論外だが、ある程度の勢力を保っていたほうがチェック機能が働き存在意義がある。

 小池になっても、都議会で共産党が過半数を持っていないし、四年後に交代させられる。小池都知事の暴走より、原発の暴走のほうが怖い。4年でとまらない。

2011年4月 1日 (金)

都知事選 石原慎太郎の存在価値とその喪失

 お待たせ、都知事選について、候補者ごとに功罪を分析してみたい。まず石原慎太郎氏から。

 批判材料に事欠かない人物であるが、そんな人がなぜ、これほど人気を得ただけでなく、マスコミや他の政治家からも強い支持をうけてきたのか考えておかなくてはならない。石原慎太郎の存在価値を見ておこう。

 無難な答弁に終始する官僚出身の政治家とちがって、誰かに言って欲しかった本音を言ってくれる人として人気があるというのが、多くの人が考える石原評であろう。言葉は乱暴だが「我が意を得たり」というわけである。

 よく観察すると、慎太郎は、勇ましいことを言う一方、勇ましいことを実行したことはない。アメリカにNOといったこともないし、なによりも自分が政策には通じていないことをよく自覚している。元々作家である。

 官僚機構からこれを見れば、マスコミ向けに吼えるだけで、全て自分達のやりたいようにさせてくれる理想の上司となる。酷い発言、行き過ぎた発言をするが、行き過ぎたことは実行しない。

 過去の都知事選を振り返ると、慎太郎の三選の前の都知事選が極めて重要であった。このとき青島幸夫が石原信夫に勝った。青島は典型的タレント候補だが、石原信夫こそ、7代の総理につかえた官房副長官、つまり日本の官僚のトップ。この人ほど誰からも高い評価を受けていた人はいない。

 最高の人材の石原信夫が、タレント候補に敗れたのをみて、それ以降、まともな人物が東京都知事選に立候補しにくくなった。大阪では、横山ノックが知事となり、その傾向は強まった。政党支持推薦などおかまいなしに、知名度だけある人が当選する状況になってしまった。

 そこで石原慎太郎の登場である。変なタレント候補が知事となることを防ぐこと、これこそが石原慎太郎の存在意義ではなかったか。「慎太郎でいいんじゃない、それでうまくいくんだから」ということであった。

 今は、これまでの状況と異なる。官僚にまかせていてはいけない、トップの決断が必要な非常時になってきた。政策判断はできない、実行力はない、体力も衰えている、変な都知事が出現しないことを防ぐのが取り柄の慎太郎知事は不要。さすがに、都民も呑気にタレントを選ばない。

 慎太郎が自民公明に押されていることを重視するべきである。自民長期政権のときに美濃部共産知事だったのと同じになる。当時、国の政権は自民だが、不満表明は都知事選でだった。今は、国の政権は自民はイヤだが、民主への不満表明。これは昔と同じ失敗。

ここは自民には完全に一端退場してもらい、民主に任せる。それで民主がダメなら自民が出直しもあるが、数年は民主にまかせてみなければならない。一応正統に選ばれたを首相は、好き嫌いを超えて支えなければ、一つの集団と呼べない。その観点から石原4撰は大マイナス。

都条例のマンガ表現規制は、石原慎太郎自身、マンガに問題があるなど全く考えていないが、一般高齢選挙民にはウケルという計算。原発や停電など、本当に大事な事は何かという発想で働いていたと思えないし、その能力もない。

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