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2010年11月16日 (火)

裁判員制度初の死刑判決について(1)

 新聞報道ベースで事件をおさらいすると、被告は、覚醒剤密輸組織に入って活動しており、そちらで検挙された。逮捕当日、殺人事件について自首した。殺人事件とは、その密輸グループのボス近藤に頼まれ、マージャン店の経営権を巡って近藤とトラブルがあった男二名(28歳と36歳)を、20096月に数名で拉致し殺害したことである。そのうちひとりは、高速回転式の切断機を使用し、生きたまま首を切断した。二人の遺体をバラバラにして、金沢区の海や富士山麓に捨てた事件である。ひとりからは1300万以上のお金を取り上げ、強盗殺人である。

 これだけの情報だと、死刑の可能性が高いと感じる人が多いであろう。

 公判のやり取りの全記録を読むと、被告が、偽悪家というか、全部俺がかぶってやるよというタイプの人物であることが読み取れる。犯罪組織に入ったのも妹の医療費のためであるなど、石井隆の『天使のはらわた』の主人公を思い出させられる。ボスがさらに上にいることと、なぜ下っ端に汚れ仕事を押しつけなかったか気になるところである。

 乱暴に整理すれば、凄惨な殺人事件の犯人は、二種類に分けられる。元は善人であったのに悪魔が宿ったような場合と、共感する能力が欠損した非人間的な人格障害者である。池田被告は、前者に属する印象が強く、人間性が残っていることが公判で現れている。そのため、無期刑判決の可能性もあると見ていた。

 蓋をあけると、死刑判決であった。

 東京新聞と産経新聞に、私のコメントが明日の朝刊に出るはずである。

 このブルグでは、そこでは言えないストレートな言説を掲載してみたい。

 第一印象は、裁判官が主導し、永山基準を守り、死刑としたということである。折角、裁判員裁判制度の導入のおかげで判例に縛られずに判断できるのに、裁判官達に、その思い切りがなかったというのがストレートな感想である。

 一般市民の裁判員に注目が集まるが、裁判官の誰かが賛同しない量刑はできない規定である。はじめから、裁判官三人の最高と最低の幅に結論が収まる、完全に裁判官に保護された状態で量刑は決まる仕組みである。市民裁判員は、小中学校の授業参観にいく父母のようにその場にいるような面もあるのである。市民参加は正しい量刑のためではなく、むしろ、評議などを通して裁判官と裁判員が接触することに意義はあると考えている。

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