2011年9月12日 (月)

福島第一原発の津波想定が甘かった経緯は明らかにできる

本日、地震予知連絡会会長の嶋崎邦彦氏のお話をうかがうことができた。津波の規模の予知について疑問が解消した。

文部科学省所管の地震調査委員会の長期予測部会は、津波堆積物が、相馬でも発見されたことなどにより、日本海溝沿いのどこでも明治三陸津波級の10メートルを越える津波が発生する地震が起きると予測。2002731日に公表した。

しかし、直前に横槍が入り、「・・・評価結果である地震発生確率や予想される次の地震の規模の数値には誤差を含んでおり、防災対策の検討など評価結果の利用にあたってはこの点に十分留意する必要がある」との文が挿入される(嶋崎氏は反対した)。

後からわかったところによると、原子力土木委員会津波評価部会(土木学会)が、20022月に、1611年、1677年、1896年の三津波から、過去に実際に起きた最大値を想定値とすることを提唱。(別の場所、福島沖等には起きないという考え方)

2003年の中央防災会議の日本海溝・千島海溝周辺海溝地震専門調査会(内閣府、会長は首相)は、地震調査委員会の、今後の地震予測(これまで割れた断層の延長が割れる)を否定、過去の最大値で十分と主張する原子力側の意見を採用。その結果、福島原発立地の最大津波は5.6Mとなった。

824日・25日の新聞テレビの報道によれば、東電副社長は、08年には、長期予測に基づき、福島第一では、高さ10.2Mの津波がありうることを知っていたという。誰に責任があるのか調査すればはっきりすると考える。政府にはその追求を、マスコミには、詳しくて、わかりやすい報道をお願いしたい。

2011年8月26日 (金)

島田紳助引退の背景:正しい情報提供を

 紳助の突然の引退で驚いている人が多いであろう。しかし事情通からは、背景は明らかである。筋は二つ、渡辺・羽賀の事件が、最高裁で無罪の可能性がかなり出てきたので一工作という筋と、警察庁が、目下の第一課題と位置づける暴力団排除の動きが、相撲界についで芸能界にもという筋である。

前者については十分な情報を持ち合わせていないので、後者を中心に述べる。警察の方針は、安藤長官が明言している。全国全ての都道府県に暴力団排除条例がこの春成立した。世界規模のグローバル化の流れに対応するために、日本のローカルルールであるヤクザの存在は、消滅させるしかない。長期的視点として反論の余地がないようにみえる。しかし問題は、ヤクザが果たしてきた機能を誰が果たすかであるが、こちらは未解決のまま、排除に走っている。ヤクザ人口は、一時20万であったのが8万まで減少している。ほっておいても消えて行くとみえるが、警察が急ぐ理由は山口組の存在である。3万数千の組員を持った全国組織があるのは、とんでもないことであるというわけである。これにも反論は無理であろう。少なくともビジネス界からは去ってもらうほかないとしても、残る夜の稼業をどうするのか。「堅気の人だけで芸能やったらおもしろくなくなるだろうな」といった呑気なレベルよりも、正業につけない人々の居所がどこかに必要という意味でむずかしい。私も答えを出しかねている。

話しを戻そう。山口組がターゲットとすれば、今回の事件も見えてくる。芸能界の綱紀粛正のために、悪さが一番の芸能人として紳助が選ばれたのではなく、関係していたのが山口組の大物だから選ばれたと解釈できる。渡辺・羽賀の事件も、同様に、相手の組長がターゲットで巻き込まれたのかもしれない。そう理解したほうが無理筋の検挙の理由がわかる。もちろん、これは、あくまで推理にすぎない。

本当に問題なのは、マスコミの報道である。暴力団と付き合うのは悪という言い方をしたうえ、芸能界とヤクザの付き合いは山口組が浪曲に手を出したとき以来という説明をしている(朝日新聞)。部分的には正しいが全体を伝えない毎度のやり方である。

事実を説明しておこう。浪花節の興業を手がけていた山口組二代目に、吉本興業社長の吉本せいが頼んで、エンタツ・アチャコを連れて関東進出に成功した。続いて、浪曲の広沢虎造を吉本興業専属にすることにも、二代目は協力した(1934年)。その割を食う籠寅組とモメて、二代目は籠寅組みに刺殺される(1940年に刺され42年に死亡)。ここから言えることは山口組が進出する前から、この手の興業はヤクザの仕事だったことである。二代目を刺殺した側はヤクザでなかったみたいに報道は完全に隠してしまっている。籠寅のボス、保良浅之助は、下関の企業家で衆議院議員のヤクザ。こっちのほうが重要である。芸能界よりも議員でヤクザが多数いたことこそ、明らかにすべきである。山口組の最大のライバルであった本多会は、自由民主党の派閥領袖レベルとつきあっていた。安保デモ対策など、戦後もヤクザが政治に「協力」してきた例は多数ある。

国民には何も知らせないまま、暴力団をトラブル処理に使ってはいけませというメッセージで終わらせるようでは、原発は安全という報道をしてきてしまった反省がみられない。山口組を第一ターゲットに選ぶことは当然だが、山口組の興業進出が最初というのは、あまりにもおかしい。芸能界の歴史を語ることはデリケートだが、それを乗り越えてこそグローバルスタンダードに到達するのではないか。無難にすまそうという報道姿勢は見苦しい。

2011年8月 1日 (月)

低年齢児童に対する性犯罪と児童ポルノ犯罪被害者数の不思議な増減

 児童ポルノ事件の摘発件数と被害児童数のグラフが朝日新聞2011年7月19日の記事に掲載された。一見すると、恐るべき右肩上がりの増加ぶりだ。児童の定義は18歳未満なので、小学生以下の被害児童数が増えていることを強調している。

 この記事を読めば、またまた治安悪化、子ども達が危険に曝されているとの印象を受けるのが普通であろう。ところが、実態は、全く違う。最近の低年齢児童が性犯罪被害にどのくらい遭遇しているか、同じ警察庁の統計で見てみよう。

 幼児は強姦できないので、低年齢児童に対する酷い性犯罪は、強制わいせつとしてカウントされる。その年齢別被害者数を犯罪統計書から抜き出してグラフ化すると、驚くほどの減少傾向にある。

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 私は、2005年から児童ポルノ事件摘発に人員を振り分けたために認知件数が増加したと解釈している。性犯罪自体は沈静化の一途である。成人も含めた強姦の減少傾向は凄いペースであるし、強制わいせつ全体も減っている。

 リアル世界では、エロ本屋が繁華街でさえことごとく消滅し、エロ本出版社も数年前にほとんど倒産した。ネット内だけを見ると増加傾向に見えるとしても、リアル世界とあわせてみれば衰退傾向は間違いないと思う。仕方なしにコンビニの成人コーナーができたことで、エロ本が身近にまで蔓延ってきたと感じる女性が多くいると推察するが、棲家の山を追われた熊が里に出没しているのに似た状況である。実は、エロ本もアダルトDVDも「絶滅の危機」にある。

2011年6月29日 (水)

名古屋国税局管内18税務署が外国人の個人情報収集した件(社会の匿名性について)

 毎日新聞の取材によると、「名古屋国税局管内の18税務署が、国籍や外国人登録番号を含む外国人納税者の個人情報ファイルを作成していたことが24日、毎日新聞の取材で分かった。同国税局は「確定申告の重複申請を防ぐ目的で、本人特定のために作った」と説明しているが・・・」

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110625k0000m040155000c.html

 この記事の最後に私のコメントが掲載されている。それを二つの面から補足しておきたい。第一はバランス面である。新聞紙面の都合(紙面を多く割けない)により、批判面だけが掲載された。やむを得ぬ部分もあるが、もうひとりのコメンテーターも批判に徹してしまっている。反対意見を同時に掲載する習慣をつけて欲しいものである。もっとも、このケースは肯定意見というより言い訳があるというレベルにとどまる。

私のコメントの批判部分は、外国人登録番号を個人特定のために利用したことは、国民総背番号制が採用されていない日本において、外国人だけ特別扱いしているだけでなく、個人情報の目的外の使用に当たるというものである。さらに、ここで収集された情報が、他の目的で使われないように管理されているか不明で懸念されると指摘した。たとえば、ある地区において、ある国籍の外国人が、何人居住しているか一目瞭然となるなど、副産物的情報を生み出してしまっている。したがって問題と言わざるを得ないということである。

これに対し、言い訳は、沢山できる。特に外国人用のリストを作ったのには、ミドルネームを記入する欄が必要など、打ち込みソフトからして、日本人と別にしたほうが効率的である。また、外国籍の住民には、日本人に比較して同姓同名が多い。中国籍の王さんとかイスラム圏の人のムハマドなどを想起すれば、その程度の違いは理解できる。そのため、個人特定のためにより確かなものとして、外国人登録番号に頼ったことは、動機としては理解できる。最後に、管内の全ての税務署が同じことをしていたわけではなく、現場の工夫の域である。

以上が制度に即した議論である。言い尽くされていると見るむきもあるであろうが、本質が抜け落ちている。そもそも日本の伝統社会には、プライバシーなどなかった。税務署は、「最近、分不相応に羽振りがいいヤツ」を見つけて取り締まってきた。プライバシーがない日本人の状況に外国人も無理やり合わせられないかというのが根本発想ではなかったろうか。だから「罪」の意識なく現場は動いてきたのではないかと推察する。外国人問題よりも、日本人の生活実態がもはや近所の人には察知できなくなりつつあることを、最大の課題として社会内の付き合いのあり方を再検討すべきであると考える。

大きな視点で分析したが、最後に、補足の補足として、大切なのはミクロな社会関係であることを再確認したい。外国人登録番号を尋ねるとしても、そのときの話しかけ方に差別意識が出るか出ないかは、重要である。データ管理と、これができることと、国民総背番号制の導入が、外国人登録番号の活用の条件と考える。

2011年4月 3日 (日)

怒って投票を 特に都青少年条例反対の若者へ

  都青少年条例反対の若者へ、特にメッセージしたいと思います。

 何でも「そうなんだ」て受け入れすぎはダメです。世の中おかしいことだらけ。原発の暴走を想定外の津波だからと、許していいのか考えてください。都青少年条例は成立したからおわりですか。怒っていいどころか怒るべきです。

 若い人にいつも言うのですが、人間世界は、わずか66年前2千万人殺しあった。今ある社会が正しい基準できっちりできているなど、とんでもない。人類はまだまだバカをやめない。そういう時代認識が必要です。

 今の政治家は、投票行動の分析で発言を決めている部分があります。若者は人口少ない上に投票しないから、都青少年条例は、ネットでは反対強かったけど投票しない連中だから無視されたと考えてよいでしょう。

 石原慎太郎以外の誰でもいいから投票所に行って名前書くことが本当に大切です。原発を重視するなら小池でさえもいい、対抗馬として、かすかに民主と連携していることを買えば渡辺でいい。戦略的、現実的投票としては渡辺でしょう。

 都条例の反対のために動いた人たちは、政治活動家ではありません。選挙運動はできませんし、候補者も出せません。動くのは皆さんです。自分だけでなく、友人に投票行こうぜ、ネットないだけでなくリアルワールドで呼びかけてください。

都知事選 東国原、渡辺美樹、小池あきら

  都知事選の他の候補者についても、いくつかの論点を整理したい。

 東国原氏は、宮崎知事として人気を博した実績で立候補。かつがれている(官僚の言うとおりにする)だけでパフォーマンスすればいいのなら自分で十分と自信を深めたと感じる。ウケ狙いなら石原以上はいけるというわけだ。

 宮崎に注目を集めることに、確かに実利効果があったが、東京にはその必要がない。官僚の言うとおりにすることではダメな時代を迎えて、東国原は、良い選択とは思えない。

 渡辺美樹氏は、ワタミの創業者、みんなの党の推薦が特徴。みんなの党は、官僚たたきが売りという、それだけでは政策的に無意味なことを中心に据えていることになり、評価できない。  

みんなの党は、人材難。後藤啓二のような者(ウソの犯罪増加を主張する本を執筆、児童ポルノ反対を売りにした)を参議院の候補に公認し、たった一万票しか集められないで落選した。

みんなの党には、今後、具体的な政策を磨いて欲しい。民主と自民の間隙を縫うのは、戦略とは呼べても政策ではない。渡辺美樹も、人物の存在感を認めるが、具体的な社会の将来像を提示してほしい。

小池あきら氏の特徴は、共産党推薦、反原発、反都青少年条例である。私は、共産党アレルギーである。共産党は部分的な主張は正しいが、党機関が独裁的で党員が組織命令に無反省に従うところが支持できない理由である。しかし、今回に限って支持する価値がある。

原発は、推進、反対どちらの立場をとっても、当面やるべきことは同じである。新規工事を止め、今ある原発の丁寧な安全点検である。いきなり全部運転中止は、電気が足りなくなって無理だし、このまま推進もありえない。

今ある原発の丁寧な安全点検は、推進派ではなく、反対派にやらせたほうが良い。別の言い方すれば、それぐらいしないと、東電や原子力関係者は反省しない。共産党は、政権を取らせるのは論外だが、ある程度の勢力を保っていたほうがチェック機能が働き存在意義がある。

 小池になっても、都議会で共産党が過半数を持っていないし、四年後に交代させられる。小池都知事の暴走より、原発の暴走のほうが怖い。4年でとまらない。

2011年4月 1日 (金)

都知事選 石原慎太郎の存在価値とその喪失

 お待たせ、都知事選について、候補者ごとに功罪を分析してみたい。まず石原慎太郎氏から。

 批判材料に事欠かない人物であるが、そんな人がなぜ、これほど人気を得ただけでなく、マスコミや他の政治家からも強い支持をうけてきたのか考えておかなくてはならない。石原慎太郎の存在価値を見ておこう。

 無難な答弁に終始する官僚出身の政治家とちがって、誰かに言って欲しかった本音を言ってくれる人として人気があるというのが、多くの人が考える石原評であろう。言葉は乱暴だが「我が意を得たり」というわけである。

 よく観察すると、慎太郎は、勇ましいことを言う一方、勇ましいことを実行したことはない。アメリカにNOといったこともないし、なによりも自分が政策には通じていないことをよく自覚している。元々作家である。

 官僚機構からこれを見れば、マスコミ向けに吼えるだけで、全て自分達のやりたいようにさせてくれる理想の上司となる。酷い発言、行き過ぎた発言をするが、行き過ぎたことは実行しない。

 過去の都知事選を振り返ると、慎太郎の三選の前の都知事選が極めて重要であった。このとき青島幸夫が石原信夫に勝った。青島は典型的タレント候補だが、石原信夫こそ、7代の総理につかえた官房副長官、つまり日本の官僚のトップ。この人ほど誰からも高い評価を受けていた人はいない。

 最高の人材の石原信夫が、タレント候補に敗れたのをみて、それ以降、まともな人物が東京都知事選に立候補しにくくなった。大阪では、横山ノックが知事となり、その傾向は強まった。政党支持推薦などおかまいなしに、知名度だけある人が当選する状況になってしまった。

 そこで石原慎太郎の登場である。変なタレント候補が知事となることを防ぐこと、これこそが石原慎太郎の存在意義ではなかったか。「慎太郎でいいんじゃない、それでうまくいくんだから」ということであった。

 今は、これまでの状況と異なる。官僚にまかせていてはいけない、トップの決断が必要な非常時になってきた。政策判断はできない、実行力はない、体力も衰えている、変な都知事が出現しないことを防ぐのが取り柄の慎太郎知事は不要。さすがに、都民も呑気にタレントを選ばない。

 慎太郎が自民公明に押されていることを重視するべきである。自民長期政権のときに美濃部共産知事だったのと同じになる。当時、国の政権は自民だが、不満表明は都知事選でだった。今は、国の政権は自民はイヤだが、民主への不満表明。これは昔と同じ失敗。

ここは自民には完全に一端退場してもらい、民主に任せる。それで民主がダメなら自民が出直しもあるが、数年は民主にまかせてみなければならない。一応正統に選ばれたを首相は、好き嫌いを超えて支えなければ、一つの集団と呼べない。その観点から石原4撰は大マイナス。

都条例のマンガ表現規制は、石原慎太郎自身、マンガに問題があるなど全く考えていないが、一般高齢選挙民にはウケルという計算。原発や停電など、本当に大事な事は何かという発想で働いていたと思えないし、その能力もない。

2011年3月30日 (水)

電力会社の正体 マスコミは二重スパイ

 東京電力が、今、日本一の悪者にされている。批判の中には、真っ当なものから、出鱈目に近いものまであることは当然として、私が指摘したいことは、このままなら東京電力は、びくともしないということである。

 なにしろ第二次大戦の責任者が平気で居座った国である。このままだと、それと同じになる。しかし、居座りには理由があるはずである。経団連会長が、がむしゃらに東電を支えようとするのはなぜか。これを理解せずして、東電を倒すべきだとしても倒せない。

 そもそも電力会社とは何者か。私にはひとつの大きな仮説がある。首相も、官僚もコロコロ代わる欠点を補い、日本の長期的な国家戦略を担う者達がどこかにいなければ、日本は、これほど繁栄していない。その中心グループの一翼を担うのが電力会社だというものである。

 電力会社が、地域ブロックごとの財界の中心であり、全国財界の中心でもあることは、周知されている。それ以上に日本の中心だということである。

 戦争に敗れて、どうすべきか当時の人々は考えたであろう。その答えは、エネルギー安全保障であったろう。対応策は二つ、石油の確保と、石油以外のエネルギーの確保である。石油の確保は、田中清玄が有名であるが、代替エネルギーは誰が担当したのか。

 ここからは、私の知識に限界がくる。戦後の日本のあり方に大きな貢献をした白州次郎が、通産省の生みの親であり、東北電力会長であったことは、興味深い。白州が作ったのは水力発電所であったが、国家戦略としては、その延長線上に原発があるはずである。

 東北電力と通産省ラインが、安全保障の視点から、日本の長期戦略を練ってきたのではという可能性を感じる。根拠は、これ http://act-f.or.jp/Jigyou%20Shokai/jigyoushokai.htm 国際セミナーの報告書は首相の挨拶からはじまっている。

 原発を中国やインドに多数建設させるのかどうか、アメリカも交えて世界秩序について話し合う、あるいは、日本がベトナムはじめ第三世界にも原発を建設しに行くことをアメリカに許可してもらう必要もあったであろう。

 原発は、核兵器製造に欠かせない施設であり、安全保障面からこそ重要である。世界は、核兵器を持つ一等国、原発を持つ二等国、どちらもない三等国に分けられているというシニカルな視点も、その存在は知っておくべきである。

 アメリカが、世界中に原発を建設する方向で人類の行方を決めかけていたと私は推察しているのだが、その矢先、福島第一原発の事故が起きたことは、なんたるタイミングであろうか。卑小な天罰論を唾棄する私も、運命とか言いたくなるぐらいである。

 私が言いたいことが見えなくなったかもしれない。私の主張は、日本を誰がどう動かしてきたのか国民に知らせないで、「何も知らないで安心してもらう」構図を、もうやめるべきだということである。

 そして、マスコミは、国民に知らせないで安心させる役割をもうやめろということである。マスコミは、国民にとって二重スパイだった。情報提供者のフリをして隠す側の手先だったのだから。

 電力会社や原発をどうすべきかは、情報が明かされてからでないと論じようもない。話しにならないとはこのことである。

 国民の怒りは、既に倒されている自民党政府にではなく、引継ぎがなくて何もできるはずもない菅政権でもなく、知っていたのに隠し続けたマスコミに向かうと予想する。原発のリスクよりも、ノリピー、海老蔵、殺人事件などばかり報道していた責任が問われるべきである。

 日本の危機は若者の劣化だと言っている石原慎太郎も、本当の課題であった原発問題を放置した責任者のひとりである。近いうちに詳細に論じたい。

2011年3月25日 (金)

福島第一原発最悪シナリオの場合の退避の仕方 東京を捨てる選択肢はない

 福島原発は光明が見えてきたが勝負はまだ。いまだ安全を信じよ信じられないを言い争う議論が多いが、退避の仕方について考えておくことは有益である。

 私が想定する最悪シナリオは、核爆発はしないが、放射性物質が格納容器から漏れて小規模爆発で飛散、貯蔵個の使用済み燃料が再臨界である。

 被害は二種類、放射線と放射性物質による被曝である。放射線は、距離の二乗に比例し、遮る物があれば減少する。放射能は山を越えない。首都圏被害はありえない。東海村の臨界事件を思い出せばよい。そのとき同様、避難の必要なし。

 放射性物質は、風で飛ぶ。チェルノブイリの報告書をフランス留学中に読んだが、風次第。現在の放射能数値発表をみても、原発の北に飛んだと見えて、いわき市などはほとんど被害がない。

 チェルノブイリの報告書はうろ覚えだが、風下が明確にあって、80キロまで強い汚染地域が到達していたと記憶する。風上は、相当近くても、被害を免れている。

 東京は、現地から200キロ以上。最悪事態で放射性物質が大量に飛散しても、よほど風向が悪く、強く、悪いタイミングで雨が振らない場合にしか被害はない。

 天気次第で、光化学スモッグ警報とつきあってきたようなライフスタイルになると予想する。子どもは屋内に避難である。

 このように東京は、逃げてくるところであって、そこから逃げだすほどのところではない。それでも、より安全を求めるという人もいよう。しかし、考えて欲しい。健康だけが全てではない。経済活動の維持等を考えれば、東京を捨てる選択肢は、かなりの被害でもありえない。プルトニウム弾が炸裂した長崎を捨てずにすんだのに、迷うことはない。東京を捨てる選択肢はないと腹をくくることである。

 なお、福島周辺では、風次第で、今の避難域よりも広範囲に被害が及ぶ可能性がある。毎日測定している放射線量をみての避難決断となる。現地からの距離で、安心せず、また逆に、悲観することもない。放射線の測定値を注視するほかない。

 腹をくくった上で、後は、最悪シナリオにならないことを祈るのみ。日常にいそしみましょう。

2011年3月22日 (火)

災害後の治安 一般の被災者のための話

 

 日本の治安が良いというのには、ウソと本当が混在する。大災害直後、略奪や強姦が多発する騒乱状態が発生しないことは本当であるが、詐欺と泥棒は多発する。後者は、混乱で気づかないだけである。

 犯罪の理解は、犯罪者側から眺めればよくわかる。義捐金を集めていると言えば、お金を簡単に騙し取れるおいしい時に、誰が苦労と危険を犯して盗むものか。ましてや、強盗などしない。

略奪しないことは、こう考えると面白い。大災害のときは、皆が助け合うべきだという強い規範を我々は共有している。派手な略奪をすれば、事態が落ち着いたあかつきには、強い執念で捜査がなされ厳しく罰される。これは怖い。

警察力というのは信じられていることが最も大切なのである。

性犯罪については、直後の強姦事件多発は起きないが、今頃から気をつけないといけない。意外に避難所内の片隅などで被害に遭うこともあると思う。実証されてないが、性風俗店が閉まってしまい、避難所に、性的ニーズに応える工夫はないことが一因であろう。飲み物、食べ物、医療品、衛生と避難所にいろいろそろってくるが、性は常に考察から抜けおちる。プライバシーのない生活によるストレスという中に含まれているのだが、そのことが理解されていないことが多い。

 

«大災害後の治安維持 国民保護計画への提言採録

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